8月に入ると更に東に進攻し、ベルナドット師団は10日にはニュルンベルグを占領。
ジュールダンの本隊は、ニュルンベルグに到着に東へ向かい、アンベルグ経由で
ナーブ川まで進出。ここで、オーストリア軍が戦線を保持した。
ベルナドット師団は側衛としてノイマルクトに移動し、20日に到着した。
ノイマルクトにてカール大公のオーストリア軍20000人が北上して来ることを
掴んだベルナドットは、ジュールダンに報告すると共に、ライン軍司令官のモロー
にも連絡した。その手紙を意訳してみた。
”市民将軍閣下、カール大公が20000人と共にドナウ川を渡り、ジュールダン軍に
向かってくるとの情報を得ました。ドナウ川南岸に少数の部隊を残し、この作戦行動が
貴方に漏れないようにしています。昨日は、彼の部隊と終日戦いました。
この情報を取り急ぎ伝えます。情報の確度が高い事を保証します。
本日の昼には、サンブル・エ・ミューズ軍の右翼に対する全面的な攻撃で
あるとの布告が出されました。
閣下、貴方はカール大公の大胆な行動を後悔させることのできる位置に
いる事が分かると思います。
貴方の偵察部隊が、このような情報を伝え損なう事を心配して、この手紙を送ります。”
<個人的感想>
機転を利かせてモローにも連絡した点は立派である。モローが機敏に
行動すればカール大公の部隊を挟み撃ちにできる。
<リンク>